ピョンチャンオリンピックの女子スピードスケートで金メダルの期待がかかる小平奈緒選手。実力もすごいですが、かわいいルックスでも注目されていますね。そんな小平選手も選手活動を続けられないかもしれないという時期があったそうなんです。その小平さんに救いの手を差し伸べてくれたのが小平選手の所属先の「相沢病院」。相沢病院の理事長の心意気に感動です。
目次
ピョンチャンオリンピックの注目選手!スピードスケート小平奈緒選手
ママになると、時間が過ぎるのはあっという間!ついこの間ソチオリンピックが終わったようですが、あれからもう四年も経つんですね〜。
今年はオリンピックイヤーですが、平昌オリンピックの注目選手といえば色々いますが、、、
スピードスケートの小平奈緒選手には個人的にとっても期待しています。朝ぼーっと見てた日テレ系の「スッキリ」でも特集されていました。
【#平昌オリンピック スピードスケート日本代表】#小平奈緒 選手に意気込みを聞きました。#がんばれニッポン #スピードスケート #Pyeongchang2018 pic.twitter.com/4zceiWSaD4
— 日本オリンピック委員会(JOC) (@Japan_Olympic) 2017年12月30日
実力もメダルへのポテンシャルの高さもそうですが、単純に顔がかわいいということで応援したくなりました。(笑)
小平奈緒選手の所属先は相沢病院
小平選手の所属先が「相沢病院」となっていて、いつも「なんで病院??」と思っていたんです。
そこで、「なぜ小平奈緒選手の所属先が相沢病院なのか?」について調べてみました。
すると、相沢病院の院長の素晴らしい人格によるものだということが明らかに!
相沢病院は広告塔として小平奈緒選手を採用したのか?
スポーツ選手といえば、コカコーラや富士通、日清食品、トヨタ自動車などなど、スポーツが強くて資本がある企業に所属しているイメージですよね。
企業側としても活躍する選手がいると、ユニホームにロゴが入ったりして広告塔になってくれるというメリットがあるから囲い込もうとするものです。
所属先の相沢病院はそれを狙ったのでしょうか?
いやいや、それが、全然違うんです。
相沢病院が小平選手を採用した経緯について、相沢病院の塚本事務局長の話によると、
小平選手のコーチである信州大学の結城匡啓教授から「こういうご時世なので、採用してくれる企業がなかなか見つからなくて、相澤病院で採用してくれないか?」と相談を受けたことがきっかけなのだそう。
小平選手は結城コーチと一緒に競技生活を続けたい!と思っていたのに大学の卒業時期になっても採用してくれる企業が見つからなくて途方にくれたいたのだとか。
相談された相沢理事長と塚本事務局長の間で相談し、
「スポーツ障害予防センターという打って付けの部署もあるし、一生懸命頑張る選手を応援してあげたい」という気持ちで採用を決めたそうです。
あれ?小平奈緒選手といえば、スピードスケートW杯で日本人最多の通算15勝をマークした強者。数多の企業から引っ張りだこになりそうなところなのに、
誰にも彼女に目をつけないなんて、、、。小平選手はどうして雇い先に困っていたのでしょうか。
#小平奈緒 が選手団🇯🇵の主将になった思いを語る!!⛸#平昌五輪 #スピードスケート pic.twitter.com/LUht6Sj9UO
— スポーティングニュース・ジャパン (@sportingnewsjp) 2018年1月28日
というのも、昔からこんなに強かったわけではなく、このまま選手を続けていきたい!オリンピックに出られるように頑張りたい!というレベルだったのだとか。
2014年のソチオリンピックにはオリンピックに出れるようになり、メダルも狙えるかどうかという選手にまで成長したようですね。
「怒った猫」を身に着けたオランダ留学も相沢病院のサポート
彼女がここまで強くなった背景は、オランダのプロチーム「Team continu」に所属したことが大きかったのでしょう。
そのプロチームに所属したことが今の「怒った猫」というフォームを手に入れることができたきっかけになったんです。
そして、そのオランダ留学も相沢病院が「長期海外出張」として、サポートしていたんです。
思いがけずここまで成長したことで、相沢理事長は『いい宣伝だよね』と、各所から言われるそうですが、採用当初はここまで強くなって広告塔になるなんて、そんなことは全く期待していなかったそう。だからということもあり、本当は病院のロゴはなくてもいい、そう思っているようですよ。
相沢理事長は「なぜそこまでして手を差し伸べるのか?」との質問にこう答えられたそうです。
「僕自身、何らかの支援があればやりたい人生が送れたのかなと」。
信州大医学部付属病院(内科)に勤務していた時、相沢病院の当時理事長だった父の容体が悪化し、帰って病院を継ぐことを余儀なくされた。
「研究をしたかったし、米国留学にも行きたかった。代わりの医者がいれば、帰らずにすんだ。何らかのサポートがあれば、僕の人生は変わったかも。だから、人の人生を支援したいというのが基本にある。見返りは求めない。返ってくるかも分からないしね」
今はこんなにも強い小平奈緒選手から想像がつかないですが、、、競技を続けるのに苦労して、なかなか所属先が見つからなかったところに相沢病院が手を差し伸べてくれた。ということですね。
そして、支援を引き受けた相沢理事長は小平選手をサポートすると決めた当時から「人の人生を支援したい。見返りは求めない」という気持ちで小平選手を見守ってきたとのこと。
今はオリンピックのメダルを期待される小平奈緒選手も、こうして素晴らしい人々に支えられて競技生活を続けることができたんですね。
こんなバックボーンを持つ小平選手に余計に感動したわけで、平昌オリンピックはぜひぜひ彼女の活躍に期待しようと思います!目指せ!金メダル!!!!
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